
人口は100万+で、街並みは、長い事イギリスの植民地であったこともあり、ヨーロッパ風。奴隷貿易の歴史の痕跡も残されている。

2008.1.28.:翌日は、たくさんの船を造ったり修理したりするための「造船所」見学。潮の干潮を利用して船を移動させているような非常に自然な造船所だった。

しばらくぶりに訪問したのは東アフリカにあるケニヤとタンザニアだった。ケニヤの大統領選挙の後の混乱で、各地に暴動が起きている最中で、最後の最後まで、この旅の実現は危ぶまれた。車での移動は、運転士兼ガイドが本部と緊密な連絡を取り合い、移動ルート上の各都市の状況を確認しながらとなった。
だが、一旦、国立公園の中に入ってしまえば、ヒトの世界の騒ぎは入って来ず、ライオンの家族たちは静かな時間を過ごしていた。
これは、母仔の関係が見えてホンワカとした雰囲気で好きな一枚だ。
尻尾が常に繋がりを確認している。小さな子供の"Safety Blanket" や "Safety Tag"のようなものといえる?

2008.1.20.:ケニヤからタンザニアへの移動は陸路だったが、問題が一つ。これら両国はどちらも同じような観光資源を売り物にしているが、どちらかと言うと、ケニヤの方が人気が高い印象がある。両国の競争心も強く、それがサファリ客の邪魔になる事態が生じていた。
ケニヤだけに人気を持っていかれたくないタンザニアは、一部道路の利用を拒んでいるため、ケニヤのマサイマラ動物保護区()に隣接するセレンゲティ国立公園(Serengeti National Park)へは、ほんの1−2時間前後で国境を越えて入れるはずなのに、延々と半日ほどをかけて回り道をして国境を越えなければならないのだ。貴重な時間が浪費されてしまう。良く言えば、普通見ないものを見られる。。。
さて、この一枚もライオンの母仔の写真だが、これはまるで「保育園」だった。仔ライオンが15頭前後、雌ライオン数頭に見守られていた。これはセレンゲティ国立公園からウゴロンゴロ自然保護区(Ngorongoro Conservation Area)へ移動する途中にあった水場で撮影したもの。

大人のライオンたちが手を水の中に入れずに飲んでいるのに反し、一番元気そうな子供は手を突っ込み、こちらを見ながら水を飲んでいた。大人たちは、泥をかき混ぜないように注意していたのかと思う。

ひととき、水を飲んだ後、ライオンたちは足並みを揃えて(文字通り)別の場所に向かって去って行った。彼らがお腹を満たす機会はすぐに訪れるのだろうか?
お店に行けばほとんどのものが揃う我々の生活とは大きく異なる彼らの世界。彼らの生息地はこれからますます狭められる。が、生き残るのは彼だろうか、ヒトだろうか?2021年の現在の様子からは、ヒトは自ら墓穴を掘っているように見える。

多分、パンデミックとヒステリックなワクチン騒動が収まるまでは、できないだろう。残念ながらその終息宣言もいつになるのかは分からない。そして怪しい有効性のワクチンは、これからも強制的に、手を替え品を替え、射て、射て、と押してくるのだろう。
F社の最高経営責任者が、これは "Forever Business" だと言ったと言う話もある。日米間でも、ワクチン接種完済みでないと入国できないような状況になると言われている。そうなれば、障害を承知で受けるか、拒否してどこにも行かない選択をするか、迫られることになる。
映画 "Brazil" の世界だ。
(2:14) Brazil (1985) Official Trailer:
今日は他の地域の画像処理が終わらない事もあり、2008年のケニヤ、タンザニア旅行からライオンの家族の様子をアップしたいと思う。
1月17日、夜中に雨が降り、マサイ・マラの大草原を走る車用の道路には水溜りができていた。早朝から動物観察に出かけていた時に遭遇したライオンの大家族。雌ライオンと子供達が草原を横切って道路に向かって来ていた。

親ライオンたちは時々振り返り、子ライオンや高齢ライオンが隊列から離れていないことを確認しながら進んでくる。道路に出て来たライオン家族を見ながら、ガイド兼運転手が、お腹が空いていそうだ、と言う。彼らは毎日獲物にありつけるわけではない。獲物を捕獲できた時には、お腹が張り出す程食べるが、その後、数日間、食べられない日もあると言う。

かなり高齢と見受けられる雌ライオンも2−3頭いて、見るからに辛そうな表情をしていた。
