クリスチャン・リヴァー (Christian River) とブランディワイン・クリーク (Brandywine Creek) が合流する場所でもある。デラウェアの州旗は一見、スウェーデンの国旗に州の紋章をつけただけのように見えるが、それは1638年にスウェーデンからの移民が起こした植民地が始まりであったせいらしい。
が、1655年にピーター・ステューヴサント (Peter Stuyvesant) 率いるオランダの艦隊が到着し、スウェーデンの植民地、ニュー・スウェーデン (New Sweden) の時代は終わる。1664年にはイギリスが侵入を始め、オランダとイギリスの間の領土争いが1739年頃まで続いたらしい。
興味深いのは1800年にフランスのヒューゲノット (French Huguenot) であったデュポン社の始祖、 Eleutheree Irenee du Pont が移民としてアメリカに渡って来た事だ:ガン・パウダーを作る知識を持っていたデュポンはブランディワイン・リヴァーの土手で爆発物を製造し、アメリカ軍の主要な武器供給会社となって行ったと云う。
SFの歴史の中の顔の一つであったバンク・オヴ・アメリカ (Bank of America) が業績不振で買収され,デラウェアに移された時は物議を醸した。が、それは1980年代に州内の金融関連業務の規制が緩められた事にも因っていた。チェイス銀行やバークレイズ銀行などクレジット・カードで知られる銀行が多数デラウェア州に本部を構えている。
前記事の教会と同じ地区にあった別の宗派の教会:1910年に建てられたゴシック様式のウェストミンスター・プレスビテリアン・チャーチ (Westminster Presbyterian Church) 。

教会の歴史は、1857年にウェストミンスターのマックドウェルヴィル (McDowellville) で始められたサンデイ・スクールに遡ると云う。信者の数が増えるに連れて、1882年にはロドニーと14番通り (Rodney and Fourteenth Streets) にロドニー・ストリート・チャペル (Rodney Street Chapel) が建てられ、サンデイ・スクールは新しいチャペルに移る。

教会のドアの色は濃い青:聖母マリアの衣の色だ。

教会の名前が刻まれたプラクと建立年が刻まれた礎石。

この教会には回廊があり、その造りがヨーロッパの教会の造りに似た雰囲気だった。

詳細は不明だが、かなり大きい建物だ。

既に夕暮れになっていたデラウェア州訪問を切り上げ、この後、95号線南で3ドルとか4ドルの「通行料」を支払いながら、メアリーランド州 (Maryland) へ入る。ボルティモア (Baltimore, MD) 経由の70号線東でフレデリック (Frederick, MD) 、40号線、81号線南でハーガースタウン (Hargerstown, MD) の宿へ急ぐ。到着は21:40。
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