ビショップ・ド・ガウアーの夢の跡、大聖堂の対岸にある1328年から1347年の間に建造されたビショップ・ヘンリー・ド・ガウアー (Bishop Henry de Gower) の宮殿を見学後、高台にある"City of St. David" の旧い街並みを見終え、やっと大聖堂の見学へ:
前記事で紹介した高台にある "City of David" の中世の塔門/鐘楼 (Porth y Twr) から大聖堂へ向かう斜面には、緑の芝生に覆われた墓地がある。かなり大きな墓石があるのだが、大方は下の2枚のように横になっている:上の墓石には、1700年代後半の数字が見える。20代?(地衣類が被っているのでよく見えない)デイヴィッド某と1776年と63歳で1778年に亡くなったデイヴィッド某の名が刻まれている。

上の墓石は、隣との距離がほとんどない状態で並べられていたが、こちらの墓石は、一部割れた部分との間に芝生が入り込んだ状態と見える。アン、50歳と1838年に67歳で亡くなったトーマス・オーウェンと1833年に61歳で亡くなったメアリーの名が読み取れる。
どちらの墓石も2m近い大きさ。

現在の大聖堂は12世紀に建設が始まり、13世紀半ばに完成されたものだが、地震による塔の崩壊などもあり、完全に原型を留めているわけではない。大きさは、長さが90m、幅が22.5m、高さは35mで、ロマネスク/イングリッシュ・ゴシック様式だ。
起源は6世紀、589年:1500年にわたって信仰の場となっているが、現在、聖堂の維持には公的資金は投入されていないとの事で、募金を募っている。
1793年から現在の形への修復を開始したのはウェールズの石工、ジョン・ナッシュ (John Nash) だったが、仕事の質が劣っていたため、構造が不安定になっていた。それから約1世紀後、1862年から1870年にかけて、ジョン・ギルバート・スコット (John Gilbert Scott) が全体の修復に携わり完成させた。
