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Yoko's 人生=旅 on this Blue Planet
高速回転中の青い惑星地球、負けじと走り回る一人の記録。
石井紘基衆議院議員:『日本病』の正体 「日本病」の正体が見えてきました。(書き起こし)
石井紘基衆議院議員:『日本病』の正体 「日本病の正体が見えてきました。」

(48:43) FNS ドキュメンタリー大賞


Published on May 10, 2012 by ツジッターのからくりTV:

伊藤白水に刺殺された石井紘基衆議院議員。彼の卓越した洞察力が日本の暗部を照らし、­自滅する自国への警告を続けてきたが道半ば倒れた。後を担うべき民主党も彼の遺志を継­ぐこともなく、時間ばかりが過ぎていく。娘 石井ターニャは、今も父の求めていたものを成し遂げようと、日々奮闘している。



彼はこの町に遅れてやってきた。彼はこの町では明らかに異質だった。だがこの町が必要としていたのは、彼のような男だったのかも知れない。

「公金を浪費している。これは、国民は許しません。」

石井紘基、国会の爆弾発言男。

2年前、私たちは特殊法人の問題を誰よりも強く追求する石井の下を訪れ、インタビューを試みた。

「日本の政治って言うのは、如何に利権の仕組みの中で、初めて存在している存在だと。まさしくその天下りのためと民間の仕事を盗るための、奪っちゃうためのもので、詐欺集団では無いかと、これは。

国民が皆やっぱりギブアップになるでしょうね、皆、国民の負担ですから、これは。
国が潰れるって事になりますね。。。」


このままでは国が潰れる。石井は何かに急かされるように、1時間ぶっ通しで喋り続けた。
取材後著書に添えて、私たちの下に直筆の手紙が届いた。

日本病の正体が見えてきました。」

石井は日本を蝕む病にメスを入れようとしていた。しかし、2002年10月25日、1人の暴漢の刃によって、石井は突然この世を去った。
なぜ石井は命を狙われたのか。

私たちに書き残した「日本病」の

正体とは何なのか。

長い低迷から抜け出せない日本。

その病に気づいた男は命を賭けて

闘った。


政治家、石井紘基の足跡を追う私たちの前に、日本の現実が姿を現した。


日本病」の正体

政治家 石井紘基の見た風景


事件は自宅の庭先で起きた。残された家族は、今もここで暮らしている。

ロシア人の妻、ナターシャさん。
30年間、ロシア語講師をしながら、石井を支えてきた。
事件は彼女の目の前で起きた。

「聞こえたのは、紘基さんの強い叫び声だったですね。私が出た時はもう、言葉も何も無かったです。」

石井には娘が一人居た。父の背中を見て育ち、秘書を務めたターニャさん。
父がやってきた事を忘れて欲しくない、この世を去った父のホームページを更新し続けている。

「夢の中の出来事のような、ね、いつかどっかでフッと、父がいるんじゃないかなとか、、、責任もあるし、でも同時に父の事を忘れたくない、、、」

この手の下で、石井は眠っている。
無念の死。
残された妻と娘は、石井の想いを絶やさぬ事を墓前に誓った。

事件から3ヶ月、裁判が始まった(2003年1月21日 東京地裁)。
被告人は右翼活動家。
検察側は、金銭を無心した男が石井に断られ、逆上した上での犯行と結論づけていた。

しかし、遺族はこの説明に納得できなかった。

ナターシャさん:「私、主人を殺す程、憎んでいたのはは分らないですよね。」

ターニャさん:「色んなものをやっぱり調査したり、調べていましたので、そのどの相手であってもね、やっぱり脅される事ってあるかもしれませんし、常にそう云う仕事をずっとしてきたわけですから。」


闇の勢力による謀殺説が出てきた。

衆議院第一議員会館 石井こうき事務所:
その理由は石井が国会を揺るがすような、危険な情報を握っていたからだと云われていた。事件直後、関係者によってこの部屋から運び出された膨大な資料。
この中に事件の鍵が隠されているのか。

2003年2月11日:民主党は真相究明の会を発足。
石井が残した63箱の開封を行った。

菅直人代表:場合によっては、この私たちが代わって追加の調査をする。そん中からまた色んな事実が現れて来る可能性もあります。」

党を上げての取り組み。真相の究明への期待が高まった。議員生活中、異常なまでに情報収集に拘った石井。
そこまで彼を駆り立てたものは何だったのか。

石井議員:「今、首を賭けてあなたは答弁しなさい。」

このままでは国が潰れる。私たちの

前でそう言い切った石井紘基。


1940年、大学教授の父、高校教師の母の長男として生まれた。
安保闘争の真っただ中、大学に入学(1960年、中央大学法学部政治学科入学)。
石井もこの国の理想の形を思い描く学生の1人であった。

中央大学の同級生、佐々木俊輔さん:「大学の最初の授業かな〜、休講か何かになったんで、その時に石井が壇場に出て、皆で国会へ行こうとか、、安保の年でしたからね。安保反対なんつってね、拳をあげてましたよ。
ちょっと驚きましたよね。う〜ん。」


学生運動にのめり込んで行く石井。
学内のリーダー(中央大学自治会委員長)として、自らが理想とする国家を実現するため青春を捧げた。

60年安保闘争

国会に突入するデモ隊の先頭にいた石井は、激しい争乱状態の中に1人の政治家を見る。
すべての国会議員が逃げ出す中、ただ1人、警官を抑え学生を守ろうとした男がいた。
社会党書記長 江田三郎。

石井はこの時初めて国民の立場に立った政治家を見た気がした。
江田の後を追い、社会党の活動に参加。
そして1965年、東西冷戦の最も激しかった時期にソビエト連邦に留学するチャンスを得る。(モスクワ大学大学院法学部)

社会主義が理想の国家主義かも知れないと思われていた時代、当時のソ連はアメリカを凌駕する勢いであった。だがその実態は、いわゆる鉄のカーテンに包まれ、日本に伝わっていなかった。
もちろん、日本人の留学生などほとんどいない時代であった。

25歳、ひと言のロシア語も話せなかった青年は(5年10ヶ月の留学生活 25歳〜31歳)、5年10ヶ月にも及ぶ留学生活で、社会主義国ソ連の真の姿を見る。

モスクワ大学の図書館に今も残る修士論文:膨大な参考文献と資料を基に、ロシア語でまとめあげた論文は200ページ。(「ソビエト連邦における国家意思の形成」)
この論文の中で石井は、ソ連の社会システムが最上位のシステムであると書いている。否、書かざるをえなかった。

西側の国、日本から来た留学生は、情報を閉鎖するソ連の意に添った論文を書くしかなかった。
そんな石井を支えたのが、日本語を学ぶロシア人学生だった。
ナターシャさん。

1970年、モスクワでささやかな式を挙げた。
そして翌年帰国。
その頃石井は社会主義国ソ連の現実を友人に漏らしている。

中央大学時代の友人、金子圭賢さん:「かなり思い詰めた様子で、重苦しい思い詰めたものを吐き出すように言った印象が強いんですけどね。う〜ん、とにかく、あの国はダメになると。」

Q:そん時、皆さんもそんな意識だったんですか?

金子さん:「否、我々の常識ではまったく無かったですね、全然中が見えないですから。ま〜、一部の特権階級がやっていると言うことで、これはもう早晩破壊すると。」

Q:当時はまだ当時ソ連は??たわけで。。。

金子さん:「表向きはね。でも中味は全然だめだと言ってましたね。」

Q:ほう。

金子さん:「もう崩壊していると云ってましたね。」

ソ連で石井が見た現実。それは政治

を支配する一部の特権階級とその

実情を全く知らされていない国民の

姿だった。


金子さん:「ソ連と云うあの超大国が、日本の

社会と実に良く似てんだよ
って言い出した。そう、で、これは何とかしないといかんって言ってね、、、」


社会主義国ソ連と日本が似ている

石井は当時の日本人が誰1人として思いつかない事に気がついた。
国民には大切な情報を流さず、一部の政治家と官僚が経済を操る社会
この国の本当の姿を知りたい。

ソ連から帰国後、江田三郎の息子、江田五月付きの秘書を務めるなど、政治の道を歩んだ石井。
日本の現状に徐々に危機感を募らせて行く。
そして、、、(1991年ソビエト連邦解体)
20年後に現実となった石井の予言。


情報が遮断された国は、ある日突然

崩壊する。

このままでは日本も危ない。

自分がやるしかない。



2年後(1993年)、国会議員 石井紘基が誕生。
バブルが弾け、日本の経済成長神話が揺るぎ始めた頃だった。

ソ連を見た石井にしか分らない、

日本崩壊の予感。


石井の焦りは行動に移された。


石井紘基議員:ひも付き献金と云われる、個人に還流される部分ではないかと思うわけでございます。

民間が自由に、少なくとも自由に競争できるように。

私だってこうやって政治生命掛けながらやってんだから、こうやって」


石井は日本の本当の姿を炙り出すために、徹底的な調査と追求を始めた。
(1994年 羽田内閣 総務政務次官)

最大の武器としたのが、国会議員だけが持つ

「国政調査権」


石井はこの権利を使い、いままで隠されていたこの国の本当のカネの流れを徹底的に追った。
それは他の議員がただ1人も手を付けていない事だった。


石井議員:「例えば、こうこうこういう財務の資料をね、出してくれ、って言うとですね、イヤ、そんなものは倉庫に入ってます、って言うんですね。じゃ、俺、行って見るから、どこに倉庫あんだ、って言うとね、
いや、そんなものは地方、地方にありますからね、そんなできませんよ、なんて。
いや、できる、俺どこでも行くからって言って、ガンガン ガンガン 何日かやって、やっとちょぼちょぼとってつけたような資料を持って来ると。
で、そういうものを取っ掛かりにして、また次の資料、次の資料って風にですね、段々と。
で、1年位やってたらですね、ま、要求する資料は出してくれる事になりました。」


こうして集めた63箱の膨大な資料。
民主党による真相解明に誰もが期待していた。


だが、、、

石井紘基の支持者:「で、その資料を今後どのようにして民主党それから国民に対してですね、我々はどうすべきなのか、それで、そう云う仕組みってのはどういう形で展開して行くのか。
江田先生は、ま、中心になってやられているそうですけど。」


民主党 江田五月参議院議員:「ま、何とかやって行きたいんですけども、そうですね、その点は今の所お答えできないんですけど。」

民主党 羽田孜最高顧問:「私どもとしては、ただその追求するとか、或は資料をどうこうするとかと云うことではなくて、ここから何かを実らせなければいけないなって事を強く思っておりまして、、、」

4月、民主党が真相究明を発表して2ヶ月が経った。(世田谷区砧)
しかし、箱は手つかずのまま置かれていた。
あの発表は何だったのか。


石井ターニャ「やっぱり父の命のものというか、何か凄い、駆け抜けるようにやっていましたよね。もう凄い勢いで。だから。。。何かね。。。
私がやらなきゃ、誰がやるって言う場合なんですけどね。」


父が殺された自宅の庭先。ターニャさんは63箱の資料をすべて運び込んだ。
1人黙々と資料を集めていた父の姿。
内容を調べ、すべてを明らかにするには、長い月日が必要になるだろう。

開封された箱から次々と出てくる資料には、懐かしい字で書かれたメモが数多く残されていた。

政治家 石井紘基の思い。

日本が危ない。

かつて留学し、崩壊したソ連の姿が

現代の日本と重なる。


石井は国民の目には映らない不透明なカネの流れを追った。

通常国家予算と呼ばれるのは、一般会計 年間85兆円。

しかし石井は、これまで当たり前のものとして誰も疑問に思わなかった特別会計に目を付けた。
その実態は、財務大臣でさえ把握する事はできなかった。


特別会計こそ、日本の裏帳簿だ、と

石井は主張した。

その額、凡そ年間330兆円。


特別会計とは、道路や港湾整備など政府が特定の事業を行う際に用意できる予算。

その財源は、税金や郵便貯金、年金などから来ている。



一般会計 85兆円▶ 51兆円

             >>特別会計 約330兆円
財政投融資             38の会計 
     郵便貯金         事業会計
     年金   ▶        作理会計
     簡易保険         整理会計
                  保険会計
                  融資会計

そしてこの特別会計は、国会でほとんど審議される事無く、打ち出の小槌のように各省庁に流れて行く。
その行き先を決定するのは、一部の政治家と官僚たち。


国民には見えない税金の行き先。

ある時、石井はそれが特殊法人

あることに気づく。



会計検査院が調べなければならない

団体は幾つあるのか
(1996年2月20日衆院予算委員会)

この質問が、後の特殊法人改革の出発点となる。

会計検査院とは、国が出資したり補助金を出している

団体の会計を監督し、税金の使い道をチェ

ックする唯一の機関
である。

石井と激しい議論を重ねた会計検査院の幹部。

会計検査院、円谷智彦第五局長:「正義感と云うかですね、そのまま放置すれば、日本は滅びるんじゃないかっていう、本当にこう愛国心というかそう云う思いが根っこにありましたからね。
検査院が強くなれば、ま、国もですね、税金の無駄遣いなり、そういうものが少なくなる。
或はですね、非効率な行政がですね、もっと効率的になる。
ソ連の二の舞はですね、避けなきゃいけないって言う思いが原点にあった政治家だったんじゃないかと思うんですよね。


「私は会計検査院の族議員になる」、そう宣言し、利権とは無縁のこの機関を揺さぶりながら、更に徹底的な調査を続けた。だが、石井は、会計検査院の限界に気づく。それは特殊法人問題の核心だった。

会計検査院、円谷智彦第五局長:「そこが直接出資していれば、検査の対象になるんですけども、そのファミリー企業の中にはですね、出資関係が切れている所がかなり多いんですね。
そういう孫出資法人を指定をして検査をすると云うことは、もう出来ない事に議論をして行く中で、先生が気づかれて。」


特殊法人の仕事を独占する関連会社、いわゆるファミリー企業は、日本道路公団だけでも凡そ700社。
だが、ファミリー企業は基本的に民間企業であるため、会計検査院のチェックが及ばない。


税金が流れる出口は誰にも

判らない。



石井紘基議員:そうすると、国民の税金

がですね、特殊法人を通って今度は

私的なものになっちゃうわけですね

だから、政治家と官庁が結託しちゃって、え〜、どんな事があってもこれは放さない。


石井と共に特殊法人問題を追及してきた猪瀬直樹。

作家 猪瀬直樹:「彼がですね、道路公団にファミリー企業がたくさんあるよ、と言うことを最初に追求したんです、国会で。それはもう今から7年も前です。

石井さんは、どんな。。。自分で調べる人なんですよね。国会議員って秘書に任せるとか、新聞記者にやってもらったものとか、あるんですよ。所が、石井さん、自分でやるとこが凄いんだね。え〜。」


石井議員:「孫会社がこう出資した。。。」

道路公団が赤字であるにも関わらず

ファミリー企業が巨額の黒字を出す

と云う異常な現象。

税金が湯水のように流れて行く。



石井議員:「これ、一大帝国です

ね。」



集めた資料を分析し、書き残したメモ。石井はソ連の他にもう一つ、日本の未来を暗示する国に注目していた。

(2002年2月 アルゼンチン経済崩壊)

アルゼンチンは第二次世界大戦の頃、世界でも有数の豊かな国であった。60年かけて経済崩壊したこの国もまた、崩壊するまで、財政の実態は国民に知らされていなかった。

日本経済の明日の姿だと主張する。

フォーブス・アジア支局長、ベンジャミン・フルフォード:日本とどこが似ているかと云うと、やっぱり腐敗でもって、人脈でもって、効率悪い所をずっと保護されて、結局、全部が共倒れするまで守り切った。そういうダメな所ですね。

既得権益を守るために、不必要な道路や橋を作り続ける。

フォーブス・アジア支局長、ベンジャミン・フルフォード:「ま、例えば、自分が、自分の家に液晶テレビを5台入れると、1人しか住んでいない家なのに。
そんなもんなんですよ。でも、そういう特殊法人がやっているから、ま、お金、採算性はあんまり考えなくていいと。とにかく、やりたいこと、やろうじゃないかと。」


石井議員:誤摩化そうが、詐欺しよう

が、もう責任は無いんだから。


普通、民間の人がそんな事やったら、すぐ詐欺事件でですね、警察官に引っ張られちゃうとか、所が(笑い)、行政がやっているやつはですね、そう云う法律が無いもんですから、それを良い事にしてもうやりたい放題ですね。


フォーブス・アジア支局長、ベンジャミン・フルフォード:「本当に、日本の国民、何でもっと怒らない?
逆に、本当に他の国だったら、革命位起きてるんじゃないかと思う程多いんですよ、私も含めて。」


石井議員:「官がやっている経済です

から、その経済体制を市場経済の

体制に変えると云う勢力が、とって

代わって、革命をやらないと

ダメです。」


フォーブス・アジア支局長、ベンジャミン・フルフォー

ド:
日本の社会を代表する社会主義

の部分は、これから崩壊する
と見てるんですよ。」


石井議員:「え〜、国が潰れるって事に

なりますよね。」


石井は全国各地の現場を飛び回り、自らの脚でこの国の実態を調べつくした。

徳島県木頭村、人口1,800人。高知県との県境にある緑豊かな村に、石井が訪れたのは6年前。
大型ダム計画に反対してきた前村長の藤田さん。
この小さな村にも大量の税金が流れ込んでいた。

木頭村前村長 藤田恵さん:「これですか、まだまだあるんです。。。」

人里離れた奥深い山中に、砂防ダムがどこまでも続いている。

木頭村前村長 藤田恵さん:「全部で200位あるらしい。まだまだ上流にありますから。
これはもう私が大きな声で云いよったんですけど、おかしいんじゃないかと、こんなこと。
と云うことは、木頭村の予算、大体25億ですよ。村の予算がね。
土建屋がしている工事が、約20億あるんですよ。
18億か20億くらい。
村の予算に匹敵する予算が土建屋にドンドンドンドン行っとるわけね。
こんなもう、要るか要らんか分らんもん、ね、林道にしたって、何じゃ使ってないもんしおったりな。」


地元の意思とは無関係に、

中央の政治家と官僚によって、税金の使い道が決められて行くこの国のシステム。


「まるで川の墓場だ。」

この場所で、石井はそう呟いた。

石井議員:「大部分は国がですね、出す。そしてその間の部分に、政治家が都道府県から出ていますから、それがその仲介役になるわけですから、あの何々先生のお陰で、予算が来たとか来ないとか、多かったとか少なかったとかになるわけ。

ですから、今の政治、日本の政治ってのは

如何に利権の仕組みの中で初めて

存在している存在
だって言うことですよ。」


この国が抱える問題の本質を掴もうとした石井が辿り着いた答え。

長年に渡る一党独裁体制で、官僚と

政治家が築き上げた巨大な

利権システム。

そして知らぬ間に、そのツケが

国民に廻される。


これこそかつて留学し、崩壊して行った超大国、ソ連とまったく同じ体制。

石井が見た「日本病」の正体。

それは資本主義の仮面をつけた

「官僚制社会主義国家」日本の

現実であった。



石井議員:「政治献金をしたのは、案の定、自民党本部の政治資金団体。。。」

(1998年 防衛庁背任事件)
(2000年 農水省の天下り団体と政治献金)
(2001年 土地改良区から自民党への支出問題)
(2002年 鈴木宗男議員の疑惑に関して)

議員生活10年。
それは戦後永々と築かれてきた日本のシステムと言う見えない敵との闘いだった。

石井議員:「特殊法人を、盗ってる仕事

を全部民間に出して、経済を活発に

するんですよ。」


2002年6月、構造改革を掲げる小泉内閣は、道路関係四公団 民営化推進委員会を発足させた。

作家 猪瀬直樹:「石井さんの意思は、故人になられましたが、今度の公約に活きてきますよ。あの特殊法人改革の努力は、、、」

石井が訴えたこの国の病を誰もが少しずつ感じ始めていた。

特殊法人改革、

石井の声はようやく現実のものとなって行った。

しかし、石井紘基は殺された。(享年61歳)

作家 猪瀬直樹:「石井さんしか居ないんだから、本当に。。。。そう云う事分って、そこに行ったかって云ってくれる人は。だから僕はショックで、ショックでしょうがない、石井さんがいなくなったと云うことは。
1人の言葉で誰も言ってくれないわけですから。
石井さんが云ってくれなければ。」


石井ナターシャさん:「紘基さんは、、、私のものはちょっとだけです。でも、本当は紘基さんは、日本人のものです。」

誰よりも敏感にこの国の病を感じていた男は、突然この町を去った。

事件の裁判は続いていた。(2003年6月21日 東京地裁)

この日法廷では初めて被告人 伊藤白水の主張が語られた。
伊藤が拘置所から知人に宛てた手紙に、殺害の動機が詳細に書かれている。

二度目の選挙の時に、大物右翼から三千万円を都合してやったのに、石井は恩を仇で返すような事をした。

新たな動機の主張。
本当だとしたら、石井は違法な裏現金を受け取っていた事になる。

石井ターニャさん:「口があるのは、犯人だけですよね。やっぱり父がいたら、そんな事は無いって言ったかも知れないですけど、もういない人には口が無いって云うことで、、、」

石井紘基を刺殺した右翼活動家 伊藤白水。
前科5犯の伊藤は、20代で右翼活動に目覚め、1988年には日本共産党本部にナイフを持って乗り込み、逮捕された。
出所後、一人きりで活動を続け、世田谷区のあらゆる議員の事務所を廻り、右翼思想の本を販売したりしながら、細々と生活していた。ここ数年は月に一度の割合で、石井の事務所を訪れていたと云う。

来る者は拒まない、それが石井の信条でもあった。

富永早苗 元公設秘書:「たいてい会いたいときは国会の事務所にアポを取るなり、それか他の議員さんの所に行くついでに寄って行くような形で、やっぱり同じように入ってきた形ですよね。出きれば会いたくないって云う思いはね、、、喜んで会っていたわけじゃないんで。」

情報収集のために様々な人物を受け入れた石井。
秘書でさえ、その行動をすべて把握することはできなかった。

富永早苗 元公設秘書:「最終的に信じられるのは自分だけなんだって云う思いってのは、すごくあったとおもうんですよ。全部、自分でやりたい。自分でやらなければ、納得出来ないっていう性格だった。。。」

そんな石井の性格が災いしたのではないか、と友人は語る。

中京女子大 客員教授 大場俊賢氏:「まあ〜、他のことで殺されることがあっても、場合に寄っては不思議じゃないなって云うのは、あの秘書にも、運転手にも、一切自分の行動を分らせないんだよね。
だから彼がどうやって、あれほど石井紘基は、あれだけ国会追求をやっていて、やれるだけのデータを集めるんだって云うけど、そう云うことだから、相手が信用するんだよね。
運転手も居ない、秘書も居ないでしょ。」


Q:誰にも見られていないわけですね。

中京女子大 客員教授 大場俊賢氏:「ウン、港の見える丘公園って云う横浜の、夜、そう云う所で」

Q:内部告発、、、そう云う場所で書類を受け取ってたって事ですね。

中京女子大 客員教授 大場俊賢氏:「ウンウン、」

国会で不正を追及する石井が、情報収集のために取った手段。
時にはたった1人で出向き、ブラックな情報源にも接しながら、武器となる資料を集め、国会に爆弾を落とした。

石井議員:「あなた、何聞いてんだよ。癒着は生じていないって、じゃ、今のこれは、あなた否定するんですか、私が出した北海道の広域道路については。」

石井紘基と伊藤白水、2人の間に何があったのか。
事件の真相を巡って、様々な憶測が飛び交っている。
伊藤を古くから知る右翼関係者は、事件の6年も前に、裁判で語られた伊藤の主張を聞いている。

興国青年連盟 菊池洋一会長:「あの、あれ良いのかね、あのカネの話。
石井さんも、ま、若手ですね、一代目で、特に日本新党ですから、軍資金も集まらなかったと思うんですよ。
その時に伊藤君も、ま、肩入れをした関係上、何か大口のスポンサーから3,000万位を用立てたと。
そう云う話は、伊藤君は、私はチラホラと話したことはありますよ。」


面倒を見たのに裏切られたと云う伊藤。
しかし事件に黒幕がいると云う謀殺説も根強く語られている。

中京女子大 客員教授 大場俊賢氏:「何としてもやりたいのが、闇金融だって言ってたね。石井君、それは危ないよ、と言ったんだよね。ウン。」

事件直前、石井に決定的証拠を見せられた人物がいる。
各省庁の不明朗なカネの流れを突き止めた、と、石井が興奮して語ったと云うのだ。

??:「彼が亡くなられたのが10月25日で、その2週間前の10月10日の日ですね。議員会館の彼の部屋です。鉛筆で各省庁別に数字を書き出した。
これをこの秋の臨時国会でやるつもりだと。
で、その中に内閣府あるいは外務省の機密費の問題、そう云う問題も含まれているニュサンスの話をしてましたね。
内閣府にまで手を突っ込んで、大丈夫なのって。
反射的に私は戦慄を覚えました。」


同じ時期、石井は家族にも、興奮しながらこう語っている。

石井ナターシャさん:「すごく良いものを見つけた。突き止めたって。ナターシャ、これで私たちの民主党は、小泉さんと取引できるんですよ。よし、これはやった〜、これはすっごく大事なこと。」

その資料は未だ見つかっていない。
単独犯行説と謀殺説、事件の真相は一体何なのか。それを本人に問うため、伊藤被告のいる東京拘置所を訪れた。
伊藤は少し興奮しながら、謀殺説を完全否定した。

若い頃から信念を通してきた石井に共感し、応援して来たが、議員バッジをつけてから態度が変わった。
最大の動機は3,000万円を口利きした件。
世話をした恩義をまったく感じない石井を生かしておくことはできなかった。

それが本当のことだとしても、人を殺す程のことなのか。

その問いに、伊藤は力強く答えた。

殺すでしょう。石井は、人として許せないことをした。

伊藤の主張を石井はどう聞くのか。
もう何も語らない。

石井紘基が若い頃を過ごしたモスクワの町。
残された資料を読み解く前に、父の原点を知っておきたい。
1人娘のターニャさんは、ここにやってきた。

かつて父が学んだ場所。父が見た風景。
凡そ6年間父が過ごした場所を、ターニャさんは初めて訪れた。

当時父と同じ部屋で生活を共にしていた友人(モスクワ大学時代の同級生 ミハイル・マルチェンコ 同大学法学部長)。留学当初の石井は、この友人でさえ、ソ連政府による自分の見張り役では無いかと疑ったと云う。

ミハイル・マルチェンコ 同大学法学部長:「紘基とは、何度も何度も議論をしました。彼はいつも冷静だった。筋の通った議論をし、手を振り回したりせず、論点をどんどん積み重ねて行くタイプだった。」

若き日の父。自分の知る父と同じだった。
父が学んだ教室。31歳。
今の自分と同じ父は、この場所で何を思っていたのだろう。

石井ターニャさん:「時にはね、孤独と闘いながら、きっと毎日こういう風景を見て、自分の生まれ育った所とは全然違う環境だけど、一生懸命、聞いていたんでしょうね、授業を。」

35年前、父はここから遠い遠い祖国を見ていた。

4月、石井紘基の死去に伴う衆議院東京6区 補欠選挙が始まった。(2003年4月15日)
石井が生きていれば、行われない選挙。
立候補したのは、参議院から転向した小宮山洋子。
公認の直前まで、ターニャさんの出馬を求める声もあった。

石井ターニャさん:「父もですね、誰もやらないから俺がやる、って言ってたんですよ。父がいなくなっちゃったら、私がやるしかないかな〜とかね、やっぱりそう云う思いもありました。ま、中には色々、仇とってくれ、とか云う想いを持っている方も一杯いらっしゃるし、それに応えたい気もするし、自分もそうしたいと思うけれども、、、」

結局ターニャさんは、自分はまだ力不足と判断。小宮山の応援に廻った。
しかし思いは複雑であった。

小宮山洋子:「石井紘基前議員の遺志を継ぐために、私、小宮山洋子が立候補させて頂いております。」

石井ターニャさん:「何をどう継ぐのかなんですよね。」

Q:思いは複雑ではないんですか、ターニャさん。

石井ターニャさん:「複雑ですね。やっぱり、できることなら、名前を使わないで欲しいと思うこともありましたけれども。」「石井紘基が、毎回選挙の最後に、この場所に立って最後まで、、、姿が、こうしておりますと、思いが浮んで参ります。」

石井紘基を忘れないで欲しい。
この国の未来を誰よりも思っていた父の名を。

(2003年4月27日 小宮山洋子当選)(バンザイ)

議席は守ることができた、しかし石井紘基の遺志は、この国に対する危機感は、誰が受け継いで行くのか。
彼が見た風景、それは病に冒されたこの国の姿だった。
石井紘基の志。

民主党 菅直人代表:「不正とかですね、正義に反すること、そう云うものに対して強い憤りを持っていると云うこと、あのパワーと、あの粘り、粘りと云うか、あ〜、そういうものが、あ〜、もっと若い人に出てもらいたいなと。」

Q:なかなか現実的には、事件から8ヶ月、9ヶ月、10ヶ月経つ中で、進んでない?

民主党 菅直人代表:「まあ、あのかなり膨大な量であると同時に、まあ、断片、断片なもんですから(笑い)、これはという物があった場合には、まあその、関係者に話を訊くとか、そう云うことで、、、
まあ、今後も調査をしっかりと続けていきたいと思ってます。」


2月と同じ答え。

石井の遺志は、

本当に活かされるのか?


石井議員:「小泉さんたちは、だけじゃなくてもっと他にもいるんだけど、残念ながら。。。」

殺される半年前、石井が友人に宛てた手紙。ここに石井の本音が綴られている。

「これにより不都合な人はたくさんいますので、身辺には注意しますが、所詮、身を呈して闘わなければ勤まらないのが、歴史的仕事と云うことでしょうから、覚悟はしていますが、

それにしても、こんな国のため

に、身を呈する必要なんてある

のかな、なんて自問葛藤も

無きにしも有らずです。


日本よ、滅ぶなかれ。」




公表されている日本の負債 ▶ 

668兆円(財務省発表)

税収22年分にあたる

石井の割り出した負債総額は ▶ 

1000兆円を超える


この負債を背負っているのは 

私たちである。




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テーマ:このままで、いいのか日本 - ジャンル:政治・経済

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